PASS THE BATON vol.03:香林亜衣子 [後編]

モンゴルから西麻布へ、貫いた理念が輝く
――鮨こうりん 女将 香林亜衣子さん
―後編―
「鮨 こうりん」の女将、香林亜衣子さんの柔和な微笑み。その原点は、あのモンゴルの大地にありました。前編で触れた規格外なエピソードは、すべて究極のカシミヤブランド「TANILAG(タニラグ)」を誕生させるための、大切なプロローグ。なぜ、カシミヤなのか、なぜモンゴルなのか、それは彼女にとってとてもシンプルな衝動だったのです。
後編では、彼女がなぜ命をかけて「モンゴルカシミヤ」を手がけ、そして今、なぜ「鮨屋の女将」としてゲストを迎えるのか。その核心にある、揺るぎない信念の軌跡を辿ります。
川上から変える、嘘のないカシミヤの物語
当時のモンゴル製カシミヤは、決して品質が良いとは言えませんでした。色落ちは激しく、製品としての完成度は低い。現地には工場こそあるものの、旧式の粗悪な機械が並ぶ光景を目の当たりにし、亜衣子さんは「この状況をどうにかしたい」という強い衝動に駆られます。
しかし、今でこそネットも普及していますが、当時のモンゴルはネットで簡単に情報が手に入る時代ではありません。何より、その情報がなかったのです。彼女は広大な大地を移動しながら、自らの足を運び、自分の目で確かめることでしか真実に辿り着く術はありませんでした。
リサーチを深める中で、彼女は安価なカシミヤの裏に潜む「闇」に気づきます。カシミヤはウールとは異なり、バリカンで刈ってしまうと毛の繊維が途切れ、質の高い糸を紡ぐことができません。本来は丁寧にコーミング(櫛けずり)し、内側にある柔らかな産毛だけを採取する必要があるのです。
毛の細さには厳格なグレードがあり、特に「ベビーカシミヤ」と呼ばれる細く長い繊維は至宝とされます。カシミヤ山羊を育てる「川上」、糸を紡ぐ「川中」、生地を作る「川下」。そしてさらにその先に、ブランドという名のついた製品が並びます。安く、大量に、スピーディーにと、その効率を優先すれば、自ずと生産背景は不透明になり、質は置き去りにされていく。そんな業界の歪みが、そこにはありました。
「モンゴルに正当な雇用を生み、この国の人たちの助けになりたい」
その純粋な理念だけが、彼女を突き動かす原動力でした。元々動物愛護の精神を深く持っていた彼女だからこそ、カシミヤ山羊の健やかな命が守られているか、そして何より、携わる人々の人権が守られているかを重視したのです。紛争の火種が絶えない地域では、人の命を削りカシミヤが産み出されます。効率という名のもとに山羊の尊厳は置き去りにされる。山羊の健康状態など顧みない過酷な安価重視の量産体制が、あることを、彼女は学んだのです。
亜衣子さんの会社が最も大切にしているのは、「トレーサビリティ(追跡可能性)」です。 どこまでも「川上」へと遡ることができ、誰の手によって紡がれたものかが明確であること。背景がクリアであることは、製品の品質だけでなく、命と人に対する敬意の証でもあります。
「どこまでも誠実でありたい」。その想いが、濁りのない一本の糸となり、世界へと繋がっていく。彼女のカシミヤは、単なる素材を超えた、祈りも紡いでいるのです。

「繊維の神様」との巡り合わせ、そしてカシミヤ大使へ
事業の軸をカシミヤに定め、さらなる高みを目指して亜衣子さんは奔走し始めます。
現状を打破するために必要なのは、最新の機械と、何より確かな「知恵」でした。大手繊維会社や紡績会社へと片っ端から連絡を入れますが、実績のない若き一人の女性を相手にする会社はありませんでした。
しかし、彼女にはどうしても会いたい人物が。繊維業界において「神様」のような存在であり、オーガニックコットンの先駆者として知られる近藤健一氏です。
カシミヤ山羊の毛色は、大別すれば白、グレー、ブラウンブラック、赤みを帯びたブラウンの4色。しかし近藤氏は、その微細な差異を15〜20色にまで厳密に分類し、なんと3億円という巨額の費用を投じて学術書レベルのレポートにまとめ上げた人物でした。その論文に触れ、あまりに深い専門性とカシミヤへの愛に圧倒された亜衣子さんは、何度も彼への面会を試みます。しかし、業界の巨星との距離はあまりに遠く、何年もの月日が流れていきました。
けれど、運命は再び彼女に微笑みます。 幾重にも重なった不思議な縁が繋がり、ついに近藤氏との対面が叶ったのです。そこで彼からかけられたのは、予想外の言葉でした。
「足を使って、これほどまでにモンゴルのカシミヤを調べ上げた人は他にいない。逆に教えてほしい」
現場の泥を払い、遊牧民と共に過ごしてきた彼女の実践的な知識は、巨星をも唸らせたのです。以来、二人は頻繁に交流を深めるようになり、亜衣子さんの知見はさらに磨き抜かれていきました。
そして2016年。元々『TANILAG』の代表顧問であり、日本メンズファッション協会(MFU)理事長として原宿をファッションの聖地へと育て上げ「原宿の父」と称される八木原保氏の支えと、近藤氏の強い推薦を受け、亜衣子さんはモンゴル国から正式に「カシミヤ大使」を拝命します。一人の大学生が抱いた小さな好奇心は、いつしか国を背負うほどの大きな使命へと昇華を遂げたのです。

「一生の約束」を売る店へ
そこからの快進撃は、周囲を驚かせるものでした。メディアの取材が相次ぎ、35歳のとき、ついに念願だった新宿伊勢丹での常設店オープンが決定します。 それまで数々の百貨店でポップアップを展開してきましたが、常設は初めての挑戦。常設店前にカシミヤのストール一本で挑んだポップアップでは、坪面積あたりの売上として、驚異的な数字を叩き出したのです。そのストールは、売り場の中でも群を抜いて高額な商品でした。時代は安価で使い捨ての製品へと流れていましたが、亜衣子さんはあえてその真逆、本物だけが持つ価値で勝負に出たのです。「伊勢丹のお客様の審美眼を信じ、そして自分たちのものづくりを信じる」。その揺るぎない信念が、最高の結果を引き寄せました。
彼女がお客様に手渡したのは、製品だけではありません。「何かあれば、いつでも戻してください。一生、私たちが責任を持って修理します」
生産過程の透明性はさることながら、売った後のアフターケアまでを一生涯貫く。その覚悟が、お客様にとっての唯一無二の安心材料となったのです。100年後も残っているものなんて、そうそうありません。建築物ですら、ここ日本では多くない。ましてや衣類です。三世代にわたって受け継がれ、気づけば家族の歴史の一部になっているようなものは稀です。そんな「大事に使い続けられるもの」を世に送り出したい——その理念に心から共感するメンバーが集まったチームは、会社への深い愛と圧倒的な販売力を武器に、常設店立ち上げという大きな山を登りきりました。
しかし、その絶頂期に訪れたのが、未曾有のパンデミックでした。 客足は途絶え、売上は急落。しかし、亜衣子さんを揺さぶったのは数字の変化だけではありませんでした。
10代を過ごしたアメリカの友人たちから、Facebookを通じて送られてくるあまりに凄惨な現実。配給される遺体収容袋、亡くなった家族を袋に入れ、静かに玄関先へと出す人々……。日本では想像もつかないような命の終わり方が、写真という形でダイレクトに届きました。
「自分は、このまま走り続けていていいのだろうか」
立ち止まることを許されず、380日仕事のことだけを考えて走り続けてきた人生。けれど、仲間を路頭に迷わせるわけにはいかない、売上を守らなければならないという重責。その狭間で、彼女の心の置き場所は静かに、けれど確実に変わり始めていました。
「生と死」が隣り合わせだったモンゴルの草原。そして、再び突きつけられた世界の過酷な現実。 走り続けてきた道の先で、彼女は「本当の豊かさとは何か」という問いとともに、いったん歩を緩めたのです。
「本質」を繋ぐ、新しい挑戦——カシミヤから、一貫の鮨へ
人生の大きな転換期、彼女は夫となる香林正智さんと結婚。長年の修業を積んだ彼が独立するという節目に、彼女は「女将」として彼を支えるという、新たな挑戦の舞台を選びました。
かつて数多く展開していた常設店をあえて整理し、現在国内1店舗と海外に3店舗、そして不定期のポップアップに規模を絞っています。しかし、ブランドの輝きが色褪せることはありません。それどころか、活動のスタイルが変わっても、彼女の「信念」と「理念」が一点の曇りもなく貫かれているからこそ、長年の顧客は変わらぬ深い理解と信頼を寄せ続けています。
アパレルと鮨。扱うものは違えど、彼女の中ではその本質は同じだと言います。
現在、夫妻が営む『鮨 こうりん』には、海外からも多くの常連客が訪れます。大将の鮨を食べるためだけに来日するお客様も少なくありません。「お客様は大将の鮨と、彼の人柄に惹かれて来られるんです」 彼女はそう謙遜しますが、多様な世界を見てきた亜衣子さんが醸し出す品格こそが、店に唯一無二の空気感を与えているのは、一歩店内に足を踏み入れればわかることです。
「私たちが扱っているのは、決して安価なものではありません。だからこそ、万人に届けばいいとは考えていないんです。大切なのは、伝えたい相手に、何を伝えるかを明確にすること。私たちの仕事は、お客様の感性に響くかどうかの勝負ですから」
その言葉を、聞く人が聞けば“客を選ぶのか”とも捉えられるかもしれません。でも、人に、食べ物に、生き物に敬意を払えない人はどんなにお金持ちでも客として受け入れることはできないという、至極正統な言葉。一人では生きていけないと身をもって知った彼女だからこそ、繋がりや尊重を大切にした、真摯な言葉だと感じました。
カシミヤの原点である「川上」の物語も、目の前で握られる一貫の鮨の背景も、そこに流れるストーリーの重みは同じ。揺るぎない支柱となる理念がなければ、すべてはぼやけてしまう。安全で、美味しく、そして自分たちの感性に共鳴してくれる方へ、最高の状態で届ける。そのために、一切の手抜きは許されません。
既製品を仕入れて売るのではなく、素材から向き合い、ゼロから最高の一品を創り上げる。「女将」として立つ今の彼女の背中は、かつてモンゴルの草原で馬に跨り、山羊と向き合っていたあの頃と同じ、真摯な情熱に溢れています。ブランド『タニラグ』も、夫と共に営む鮨店も。 彼女にとっては、どちらも等しく「命の尊厳」と「手仕事の誇り」を伝えるための、大切な表現の場なのです。

「人生から溢れ出したもの」だけが、人の心を動かす
元々『SHINE』代表の西川陽子氏と友人の亜衣子さんは、製品の愛用者でもあります。星の数ほどある化粧品の中で、なぜそれを選ぶのか。彼女の答えは明快です。
「陽子が手がけている。それが一番の理由です」
一人の人間として、そしてシングルマザーとして、子供を一人の人間として尊重し、しなやかに人生を謳歌する陽子さん。「人生の中から生まれた商品」だからこそ、そこには嘘がない。そんな友人の生き様そのものを、亜衣子さんは信頼しているといいます。
実際、亜衣子さんの肌は、信じられないほどの美しさと透明感に驚かされます。過酷なモンゴルの自然を知り、本質を見極めてきた彼女が選び取った「使い心地の良さ」と「手軽さ」。その確かな結果は、彼女自身の輝くような肌が何よりも物語っています。
それは、彼女自身の「ものづくり」に対する美学とも深く響き合っています。
「ものって、苦しい時に生まれたものが最高だと思うんです。葛藤し、悩み抜いた先にしか、自分を貫くような熱量は生まれない。そしてその熱量こそが、人を感動させる唯一の力になると思っています」
『SHINE』も、『タニラグ』も、そして目の前で握られる鮨も。物が溢れる時代に選ばれるには、必ず理由があります。品質が良いのは当然のこと。その奥にある、血の通ったストーリーや作り手の魂が、価格を超えた価値となって人の感性に届くのです。
激動のモンゴルから、カウンターへ。 場所は変われど、亜衣子さんはこれからも、その「熱量」を道標に生きていくのでしょう。彼女の眼差しは、真実から生まれた本物だけを見つめ続け、今日も誰かの人生に、温かな光を灯しています。

Profile:香林 亜衣子|AIKO KORIN
カシミヤブランド『TANILAG(タニラグ)』代表。モンゴルでの過酷な遊牧生活という異色の経歴を持ち、繊維の専門家も驚嘆するほどの深い素材知識と審美眼を持つ。現在は東京・西麻布『鮨 こうりん』の女将を兼任。ジャンルを超え、自然の恵みを最高の形へと昇華させる「ものづくり」の美学を追求している。
TANILAG(タニラグ):https://tanilag.jp

『鮨 こうりん』
〒106-0031 東京都港区西麻布1丁目12-6 ダイアンクレストビル4階
営業時間:17:30〜23:30
定休日:水曜
電話:03−6434−0084
メール:sushi.korin@gmail.com
HP:https://sushikorin.jp
Instagram:https://www.instagram.com/sushi.korin
text: 石原愛子
photogragh: 吉川綾子
