PASS THE BATON vol.01: 四本優子

子どもに贈る言葉は、かつての私を救った「武器」だった。
――スタイリスト四本優子さん
"PASS THE BATON"とは――
いろんなことが目まぐるしく変化するこの現代。誰もが何かに追われるように、足早に日々を駆け抜けています。ふと街を見渡しても、余裕たっぷりに、優雅に歩いている人なんてそうそう見当たらない。それが私たちのリアルな日常です。
ふとした瞬間にため息が漏れる。「どうしてこんなに大変な思いをしているんだろう」、そう自問自答したことは、誰しも一度や二度ではないはず。それでも私たちは、生きるために、大切な家族のために、そして自分のために、「毎日」を懸命に積み重ねています。
何かに一生懸命な人は美しい。外見の美醜といった話ではなく、もちろん性別も年齢も関係なく。内側から光を放つように輝く人たちは、決まって皆、忙しい。だからこそ、これがあるから輝ける、大事にしていることがあるから踏ん張れる、そんな「核」が必ずあるはず。「忙しく輝く人」たちが、何を胸に抱いて、何を握りしめてその場所で笑っているのか、その秘密を知りたくて、本コンテンツ"PASS THE BATON"は始まりました。
あなたの中にも、私の中にも、きっと輝くものがある。
もしかしたらまだ気づいてないだけかもしれない、それが何なのか。輝く人の物語を通じて、あなたの日常を照らす小さなしるべを見つけていただけたら幸いです。

スタイリストとは――?
テレビをはじめ、様々なメディアで活躍するタレントたちから熱い支持を受ける、売れっ子ファッションスタイリスト・四本優子(よつもとゆうこ)さん。彼女のデビューは実に軽やかでした。
当時のスタイリストへの道といえば、現役のプロに「弟子入り」のような形で専属アシスタントに就き、師匠の背中を追いかけるのがスタンダード。仕事のいろはを叩き込まれ、現場で顔を覚えてもらい、師匠からO Kが出てやっと独り立ちをする――そんな職人さながらの濃密な師弟制度が当たり前の道順でした。しかし、彼女は少し違いました。そもそも「スタイリスト」という職業の存在さえ知らなかったというのです。
そんな彼女が、S N Sもそこまで普及していなかったあの頃に、どうやってその道に進むことになったのか、それはまるで物語のような話。ファッションが大好き、ただその一心で専門学校へ通い、並行して販売員をしながら服の勉強をしていた時、学校の知人に「アシスタントやらない?」と声をかけられたことが、四本さんがスタイリストを目指すきっかけとなったのです。導かれるように向かった先は、某大手出版社のファッション誌編集部。知識や肩書きよりも先に、「服が好き」という純粋な熱量と、ふと差し出された「偶然」に飛び込む好奇心こそが、彼女の人生の新しいステージの扉を開いたのです。
小麦色の肌でつかんだ、“景気のいい”時代の追い風
今でこそ小動物のような愛くるしい笑顔と、落ち着きのあるファッションの彼女ですが、当時は生粋の「ギャル」だったそう。当時流行っていた日焼けサロンでのアルバイト経験もあり、自慢の小麦色の肌で日々を謳歌していました。そんな彼女が訪れたその編集部は、まさに「楽園」。大好きな洋服が所狭しと溢れるだけでなく、まだ世に出ていない最先端のギャル服が、ブランドの垣根を越えひしめき合っていたのだから。彼女はそこで編集部付きのアシスタントとして、目まぐるしい日々を駆け抜けます。そして、2年ほどたった頃「そろそろデビューしてみる?」と、編集部から声がかかり23歳という若さで雑誌デビュー。まさにとんとん拍子だったと言います。そのころと言えば、ファッション誌が「文化の羅針盤」として絶大な勢いを持っていた黄金期の終盤。今とは比べ物にならないほどの誌数があり、一冊の雑誌が世界を動かしていた、あの熱狂時代です。今ではとても信じられないですが、年に数回の海外ロケも珍しいことではありませんでした。いわゆる「景気のいい」時代の追い風を全身に受けながら、四本さんはスタイリストとしての羽を広げていきました。
雑誌という戦場を駆け抜けて、新たなるステージへ
そこから彼女は、ギャル雑誌をメインに、数多ある出版社から引っ張りだこの人気スタイリストへ成長していきます。「失敗したことも数え切れないほどありました」と、屈託のない笑顔で当時を振り返る彼女。けれど、雑誌のスタイリストという仕事は、想像を絶するハードな世界。寝られない日々が続いても、大好きな服に囲まれていること自体が、何よりの幸せだったといいます。
少し話はそれますが、社会人経験もほどほどに独り立ちを果たした彼女は、いわゆる社会人のルールといったものを上司に教わるなんてこともなく、「業界」で一人前として生きていくことになるのです。若さ故、忙しさ故、師匠がいなかった彼女はさまざまな壁にぶつかったであろうことは想像に難くありません。それでも、持ち前の頑張りと人柄で、彼女は諦めることなく、邁進し続けたのです。
浮き沈みの激しいフリーランスという荒波の中で、10年以上もの間、雑誌の最前線に身を置き続けること、それを可能にしたのは、その愛らしい外見からは想像もつかないほどの圧倒的なバイタリティと、自ら道を切り開く積極的な行動力でした。ひたすらがむしゃらに走り続け、気づけば中堅と言われる域に。いろんなことが重なり「このままここに止まっていいのか」ふとそんな思いが胸をよぎった頃、共にトレンドを作ってきた人気モデルたちが、一人、また一人と雑誌を卒業していったのです。彼女もその流れに乗るように、自分のフィールドを、雑誌から「テレビ」という新しい世界へと移したのです。「今思えば、絶妙なタイミングだった(笑)」と彼女は振り返ります。固執するのではなく、変化を楽しむ。そのしなやかさこそが、彼女が第一線で走り続ける力の一つだったのでしょう。
「服を魅せる」から「彼女を魅せる」へ。視点を変えて見つけた、新しい喜び
これまで雑誌の世界では、服が、コーディネートが主役。スタイリストに求められるのは、テーマに沿った着こなし術と、世の中の半歩先を行くトレンド牽引力。しかしテレビという新天地は少し違いました。これまでは服を見せるためのキャンバスであった彼女たちに、今度は「その人自身を輝かせる」ための衣装を届ける。このシフトチェンジは、四本さんの仕事への向き合い方も大きく変えることになりました。自分が用意した一着を、タレントさんがまとい、「可愛い!」と目を輝かせてくれた時、そして「似合う!」と自身が思えた時、その喜びは見えない読者のことを想像しながらページを作っていた雑誌とは違う手応えでした。衣装を着るタレントさん一人ひとりの個性や温度に寄り添うようになった今、服選びが一層楽しくなったと言います。もちろん、忙しくしていたあの頃もかけがえのない時ですが、人との温度を感じられるこのスタイルこそが、今の自分にはぴったりだと思えるそう。

「切り立てのお腹を抱えて、現場へ。」フリーランスという宿命
32歳で結婚し、37歳で第一子を出産。もちろん、我が子は可愛くて仕方がない。けれど、フリーランスという「自分の代わりがいない」働き方を選んでいる以上、一瞬でも休めば自分の席は消えてしまうのではないか――、そんな底知れぬ不安に突き動かされた彼女は、なんと産後1ヶ月で職場復帰を果たします。驚くべきことに、この信じられないほどのスピード復帰は、スタイリストの世界では珍しい話ではないということ。フォトグラファーやヘアメイク、モデルだって例外ではありません。産休中の保障など望むべくもない世界。休めば仕事も収入も、積み上げてきた信頼さえも指の間からこぼれ落ちていく。どんなに売れっ子であっても、誰もがその恐怖と隣り合わせで生きています。安定して仕事をし続けるだけでも至難の業のこの世界で、キャリアと我が子との時間、逃げ場のない究極の選択に悩み、静かに去っていったスタイリストはいったい何人いるのでしょう。そして、彼女の覚悟は、さらに壮絶を極めます。「すぐに復帰するから!」という言葉通り、第一子の時は臨月まで働き、第二子の時は計画帝王切開の前日まで現場に。そして手術からわずか2週間後、切り立てのお腹を抱え、文字通り「死ぬ思い」で撮影現場に立っていたと言います。もう、聞いているだけでこちらが倒れそうになる程。そこまでして彼女が守りたかったのは、単なる生活費を稼ぐための「仕事」ではなく、自分自身の「誇り」だったのでしょう。
「ご機嫌」という、私を支え続けたたった一つの哲学
仕事だけでも体が二つ欲しいほどなのに、家庭でも頼れる手が少ない。絶体絶命の環境で、彼女が選んだのは「ベビーシッター」という選択肢でした。時にはギャラのほとんどがシッター代に消えてしまうことさえあったといいます。けれど、自分を求めてくれる場所があることの有り難さを、誰よりもわかっているから。求められることに真摯に応え、一生懸命に汗を流した先にしか、いいものは生まれない。星の数ほどいるスタイリストの中で、彼女が選ばれ続け、信頼を積み上げてきた理由。それは彼女の才能もさることながら、そんな「逃げない姿勢」そのものにあるのだと感じずにはいられません。 そんな大忙しの彼女に「家庭でルールにしていること?」と尋ねてみました。返ってきたのは、「ニコニコしなさい。そして、挨拶をしっかりしなさい」。子供達に伝えているのは、たったこれだけ。でも、これさえできていれば、周りのみんなも、自分も、きっと気持ちがいいから。仕事柄、数えきれないほど初対面の人との挨拶を交わしてきた四本さんだからこそ、その「初めまして」がどれほど大切かわかっている。その言葉には何物にも代え難い重みと説得力が宿っています。いつもご機嫌でいること。それは、自分を、そして周囲を幸せにするための最強のスキル。 彼女の笑顔は、そんな足元の小さな積み重ねから放たれているのです。
自分を「個」に戻すための、ささやかなひととき
子供達を寝かしつけた後、一人起きて次の日の晩御飯の仕込みをするなど、寝る時間があるのかと心配になる程、多忙を極める毎日の中、仕事で車を運転している時間だけは自分のものだと実感できるといいます。好きな音楽を聴き、狭い社内中一人になっていろんな考えを巡らすことが、一番のリフレッシュ時間です。肌への向き合い方も同じで、 肌荒れしやすい自分の弱さを知っているからこそ、選ぶのは、どこまでも削ぎ落とされたシンプルなもの。穏やかな香りと感触に肌を委ねる瞬間、張り詰めていた心の糸が、解けていくのを感じるそう。「体」をいたわることは、そのまま「心」を慈しむことに直結しています。完璧な休息が取れなくてもいい。ほんの少しの静寂と、肌に触れる心地よい感覚。その小さな積み重ねが、いつもの自分へと連れ戻してくれるから。

ハイスピードで回るコマのように。全部にフルコミット
仕事、家事、育児。四本さんの毎日はきっと、文字通り目の回る忙しさ。けれど彼女は、自身の仕事について語る時、驚くほど楽しそうに瞳を輝かせます。そこで気付かされたのは、彼女にとって大事なこと、輝きの元とは、「仕事」そのものだということ、仕事のための何かではなく。そして、その場所を守り続けるための努力は、きっと私たちの見えないところで、深く、強く根を張っているのです。仕事だけではありません。まだ幼い二人の子供との対話も、自分を整えるためのルーティンも、彼女はすべてに全力投球。いろんな仕事の仕方があり向き合い方がある。器用に立ち回るのではなく、あえて全部にフルコミットする。そうすることで、ハイスピードで回るコマが一点でぴたりと安定するように、彼女は絶妙なバランスを保っているのかもしれません。「小一の壁、怖い!!!(笑)」 そう言って笑う彼女の表情には、不安さえも人生のスパイスに変えてしまうような、しなやかな強さが宿っていました。 可愛くて、パワフル。きっとこれからも彼女は、その輝きを絶やすことなく、目まぐるしく変わる時代と、軽やかに手を取り合っていくのでしょう。「いつもニコニコ」。そのシンプルで最強の武器を胸に、彼女の物語はこれからも続いていきます。

profile: 四本 優子 YUKO YOTSUMOTO
スタイリスト。2000年にバンタンデザイン研究所を卒業後、アシスタントを経てスタイリスト開始。ファッション雑誌のスタイリング他、タレント、ミュージシャン等衣装デザイン制作も手掛ける。洋服のみならずトータルで提案できるスタイリストとして活躍中。
text: 石原愛子
photogragh: 吉川綾子
